本当にあった恐〜い話


中級編

増水した前釜にライジャケなしで転落

−−−レスキューする側の2次遭難−−−

1991年9月 静岡県芝川町  富士川 前釜の瀬〜釜の口の瀬

レポート: 佐々木勝


 前夜の台風で増水した富士川釜の口の瀬は、中州が完全に水没し、瀬の出口の大岩がかろうじて頭を出している水量であった。 日頃から増水したコーヒー牛乳色の流れを漕いでいる私たち地元パドラーでも、当時の常識では、こんな日に釜の口を漕ぐのは気違い沙汰であった。

 しかしその日、釜の口のすぐ上の前釜の瀬には、明日の第一回全日本ロデオ選手権に参加する国内外の一流パドラーが集結し、海外招待選手によるエキシビジョンが繰り広げられていた。 彼らに言わせれば、「この水量ならクラス5、ワールドクラスの大会が出来る。」 と上機嫌だ。 彼らのスーパープレイに魅せられた日本のパドラー達も果敢に前釜のビッグウェーブに挑んでいった。

 しかし、この日の富士川のパワーは多くの参加者の技量の範囲を超えていた。 沈脱するとあっと言う間に釜の口に流され、そこには猛烈なパワーの引き込み渦が待ちかまえている。 実際、何人かのパドラーが釜の口前の瀞場(その日は、瀞場と言うにはあまりにも速すぎる流れだった)でのレスキューが間に合わず、釜の口を泳いだ。

 彼らをレスキューするために釜の口を漕ぎ下る側も必死だ。 今日のような泥水の中では、5センチ潜ると光がまったく届かない暗黒の世界となる。 沈すると反射的に目を開けるが、そこには漆黒の闇が広がるのみで、目はなんの役にも立たない。 ロールをしようと思ってもどこが水面なのか、まったくわからない。 額がバウデッキにつくまで深く前傾し、ロールポジションにセットしたパドルを、カヤックのボトム方向に可能な限り突き出してチャンスを待つ。 握ったパドルが水の抵抗を感じなくなった瞬間が、パドルが水面に出たとき、すなわちロールのタイミングだ。

 慣れたつもりでも、泥水の中のロールはいつも恐怖心との闘いだ。 たとえライジャケがあっても、沈脱して引きずり込まれたら...

 OCで沈脱し釜の口を泳いだMORAさんは、レスキューされて陸に上がったとたん力尽き、動けなくなってしまった。 彼は、大浮力のライフジャケットを着用していたにもかかわらず、強烈な渦に引き込まれ、ほとんど呼吸が出来なかったのだ。

 もしライジャケを着用していなかったなら... 
考えたくもないが、答は,ほとんど100%の確率で“死”だ。

 そんな状況の中、この事件は起きた。

 チームダガーのメンバーに加えてもらった私は、仲間の練習をサポートするため前釜の下(つまり釜の口の前)の、瀞場と言うには速すぎる流れの中で、レスキューのためカヤックに乗って待機していた。 陸上からのロープレスキューに失敗した場合が私の出番だ。

 知らない男性のパドラーが流されて来た。 彼をスターンのグラブループにつかまらせ、左岸に向かって牽引していった。 左岸側は直径20m以上の大きなエディーになっているのだが、なかなか前に進まない。 やけに水が重い。 無いように見えてもエディー内の水流が強いのだろう。

 ふと上流側を見ると、岩の上でロープレスキューをしている連中が、こちらに向かって何か叫んでいるようだ。 しきりに本流側を指さして、どうやら私に、本流に流された何かを取りに行け、と言っているようだ。 しかし、言葉は瀬音にかき消されて、まったく聞き取れない。 指さす方向を探しても、何も見えない。

 パドルでも流したのだろうか。 オイ、こっちは人間をレスキューしてんだぞ、パドルなんかあきらめろ。 そう思いつつ左岸に向けて漕いでいたが、やけに陸上の様子がおかしい。

 この時私はエディーの中央を過ぎ、左岸まで10mを切っていた。 この位置からならば流れに乗っていけば左岸の浅瀬にたどり着けるはずと思い、「どうも様子が変だ、泳げるか?」 と彼に尋ねると、「ありがとう、もう大丈夫」 との返事。 私は彼を泳がせ本流側へ引き返した。

 この時点で私は、まだ事の重大さを理解していなかった。

 陸上から指さす方向に漕いでいったが、何も見えない。 いったい何の騒ぎかと思いつつ本流に入っていくと、目の前にポッとH嬢の頭が現れた。 そうか、Hちゃんが流されていたのか。 彼女はおびえきった顔で放心状態のようだ。 「はい、スターンにつかまってー」 何とかスターンにつかまっているものの、相当怖かったようで、いつもの笑顔が無いどころか顔面蒼白だ。 「もう大丈夫だよ」 と声をかけながら左岸まで漕いだ。 彼女は相当鍛えられているはずなのに、やっぱり女の子だな、と思った。

 「もう大丈夫、足が着くはずだよ」  よろけながら岸に上がった彼女がライフジャケットをつけていないことに、私は最後まで気づかなかった。

 彼女は、沈脱したカヤッカーをレスキューしようと、岸からロープを投げた瞬間にバランスを崩して瀬の中に落ちた。 不幸にも彼女はライフジャケットを着用していなかった。 これは、“不運”ではなく、自ら招いた“不幸”だった。 ロープを投げるために待機していたはずなのだから、ヘルメットとライフジャケットは必須だったはずだ。

 しかし、他の全ての偶然が、彼女に味方した。

 もし、私の牽引していた男性パドラーがもう少し弱っていたら、あるいはエディーの流れが違っていたら、私は間違いなく彼を岸まで牽引していっただろう。
 もし、彼女の浮かび上がった位置が私の視線とホンの少しずれていたら、波間に隠れた彼女を発見できなかったかもしれない。


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