
---- 平常心を失うことの怖さ ----
1993年6月 山形県小国町 玉川
レポート: Winy佐々木
古い話で恐縮だが、私の一番のニアミス体験を紹介する。 結果的に事故のようなものは何も起きなかったのだが、命を落としていても何の不思議もなかった。 生きていて良かったと心底思っている。
川の状況の記述は、記憶が曖昧なので、この場所を下る際の参考にはしないで下さい。
そのころの私は毎週末カヌー三昧で、漕ぐたびに自分の実力が向上している実感が持てた、油の乗り切った時期であった。
(最近はクラブでも影が薄いが・・・)
こういう時期は得てして自信過剰になりがちで、危ない時期でもある。93年6月、某インポーターのカタログ用写真撮影を兼ねたリバーツーリングに参加して、小国玉川を2日間漕ぎまくった。 ツアーが解散した朝、私たち4人はもう1日玉川で遊ぶことにした。 メンバーは静岡からいっしょに参加したN、埼玉のM(故人、94年5月雪解けの信州の川から三途の川へ旅立った)、ベテランのBだ。
昨日のオートマチックエンダーポイントで一日遊びたい、というN、Mと別れ、私とBはまだ下ったことのない源流部にトライすることにした。
川入荘から上流に向かい、砂防ダムよりさらに上流側である。 林道はロッジ(名前は忘れた)の所でゲートが閉まっており、ここからは担ぎだ。 駐車場から川を見ると、水量こそ少ないが1m〜数mの岩がころごろして勾配もかなりきつい。 3m程の滝も見える。 後にこの滝で死にそうになるとは、この時点では想像もできなかった。
カヤックを担いで林道から林の中へと20分ほど歩き、河原に出たところをスタート地点とした。 水量が少なくパワー感はそれほどない。 ごろごろする岩に引っかからないように縫うように下って行くのだが、落差が大きく前が見えないので、岩の裏のマイクロエディーをキャッチしてルートをチェックしながら進むことになる。 一つのミスが命取りになりかねないと思うと、緊張感が高まった。
- エディー
- 岩の後ろやカーブの内側等にできる渦、あるいは流れのない部分。
流れが逆流しているので、ここに艇を入れると流されずに止まっていられる。
- マイクロエディー
- 艇の長さよりも小さなエディー
漕ぎ出してみると、昨日の筋肉痛でまったく腕が動かない。 30分も漕げば腕がほぐれるだろう、と思って漕ぎ出したが、非常にしんどく、力が入らない。 カヤックもやけにぐらぐらする。
何かおかしい。
胸の中にもやもやが広がった。
私はこのツアーにはスタントバットを持って行ったのだが、落差の大きい源流部ではピンする(バウが岩に刺さる)危険性があるので、この日は浮力の大きいNのAQ2を借りていた。AQ2はローリング(左右の)安定性がいいので、安心して乗れると思っていたのだが、どうもおかしいのだ。
緊張感が高まる。
後で気がついたのだが、私は普段腿の周りをガッチリとフィッティングした艇に乗っている。 これは、膝や腰の動きをダイレクトに艇に伝えるためである。 しかし、借り物のAQ2は大きなコクピットで何のフィッティングもしていない。 膝の押さえが効かないので体の動きが艇に伝わるまでワンテンポ遅れるのが、普段と違う不安定さとして感じられるのだろう。 安全のために、と大浮力高安定の艇を選んだことが、裏目に出てしまったようだ。
川はいきなり急勾配なので、十分なウォーミングアップもできないままスタートしてしまった。 まず、すぐそばの小さな岩の裏のマイクロエディーに入ろうとした。
おっと、失敗。
後ろ向きで流されながら、次の岩の後ろに回り込んだ。 筋肉痛でしっかり漕げないからだろう。 今度は慎重にねらって・・・
え?、またダメ!
流されながら必死にフォワードを漕いでかろうじて次のエディーに入ったものの、こんな調子じゃ先が思いやられる。 いや、思いやられるどころか、命が危うい。 落差があって流れが速いものの、水量は少なく、それほど難しいとは思えない。 いつもの自分なら簡単にこなせるはずなのに、なぜできないのか、まったくわからない。
こんどこそ、と慎重にねらうが、やはりだめ。
なぜだ? このままじゃまずい。
心臓の鼓動が激しくなっているのがはっきりわかる。 Bは不安そうなまなざしでこっちを見ている。 まずいやつと来てしまった、と思っているだろう。
勾配が急で落ち込みの先が見えない。 もう少し行くと、駐車場から見えた滝があるはずだ。 カヤックを下り、歩いて偵察した。 流れは急勾配を降りた後、少し緩やかになり、幸い滝の手前にプールがある。 しかし、その先がまずかった。
陸上から見えた滝は右岸寄りだったが、左岸寄りからプールに注ぎ込まれた流れは、そのまままっすぐ行って落ち込む先は岩の割れ目の中。 奈落の底に吸い込まれて行く感じだ。 落ちたら絶対に命はないし、遺体を引き揚げることさえ不可能だろう。
右岸側の滝は落差4m、下に障害物もなく安全と思われる。 左岸死の滝の手前のプールは直径7〜8m。 下ってきたらすぐに左スイープを入れて右に回り込めば、そちら側はほとんど流れのない大きなプールで、そこから右岸の安全な滝にアプローチできる。 技術的には何の問題もない簡単なルートだ。
Bが先に下り、安全な右のプールに入ったところで、私がスタートした。 急勾配の部分を何とか抜け、後は楽勝で死の滝手前のプールに入って右ターン、のはずであった。
プールの入り口直前に水面下の隠れ岩が見えた。カヤックのボトムが岩をこすった瞬間、沈してしまった。
なぜだ!!
こんな簡単なところで、しかもこんな安定のいい艇であっけなく沈した自分が信じられなかった。
まずい、このまま起き上がれなければ、数秒後には確実に地獄行きだ。
すぐにロールのポジションにセットする。 もし失敗すれば、2度目のチャンスはおそらくない。 絶対に一発で決めなければ。 焦って失敗したら終わりだ。
身を切るような冷たい水の中で、自分でも意外なほど冷静だった。 ロールには100%の自信を持っていたから良かったのだろう。 一呼吸置いてから、慎重にロール。 成功だ。 見ると落ち口まであと数m。 だいじょうぶだ、しっかり漕げ、と励ますB。 流れが緩かったので、右岸の安全なプールに入ることができた。
いったん上陸して気を静める。 それにしても、なぜこんな何でもないところで沈したのだろう。 今日は出発直後から、出来るはずのことがまったく出来ない。 いくらやってもエディーをキャッチできずに流されてしまう。 このことは、今日のような源流部の降下では致命傷だ。
訳の分からぬまま、苛立ちと不安、緊張感で鼓動が高鳴り、心臓が頭に上ってしまったような感覚だ。 締め付けられるように胸が苦しい。 こんな経験は本当に初めてだ。
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。
右岸の滝は落差4m。 アプローチも滝壷も素直で、何の問題もない。 ただ、アプローチ途中に水面ぎりぎりの小さな岩が一つあるが、流れがそれほど速くないので、フェリーして岩の向こう側から回り込むか手前を抜けて行けばいい。
Bが先に降りて下で待っている。 私は岩の手前を抜けるつもりでスタートした。 が、しかし、バウは吸い込まれるように岩に引っかかり、艇は見事に上流を向いてしまった。
何てことだ、目の前は(いや、後ろだ)すぐリップ(落ち口)で、今更ターンする余裕はない。 無理して横向きで落ちるよりは後ろ向きのほうが安全と覚悟を決めた。 下で見ていたBは、バックで降りてきた私に唖然としている。
どうにか難所を越えたものの、勾配は依然きつく、相変わらずエディーがキャッチできない。 心臓はパンク寸前だ。 陸上から見えなかった場所は、川幅7〜8mのゴルジュになっていた。 そして、また滝だ。
ゴルジュの中の2連の滝。 落差はそれぞれ4〜5m程で、間に直径5m程のプールを挟んで連なる様は美しく、海外もののクリークボーティングのビデオに出てくるような風景だ。
降下したい! いつもの私なら、興奮で胸が高鳴っただろう。 しかし、この日はすでに、私の胸は押しつぶされそうなくらい苦しかった。
それぞれの滝は非常に素直なのだが、2段目の滝壷の左端に岩があるので、そこだけは避けなければならない。 一段目を降りたら小さなプールの中で右に進路を変える必要がある。 もしそこで沈して流されたら、2段目は岩の上に叩き付けられるかもしれない。
行くべきか、エスケープするべきか。
1段目はこれ以上ないくらい素直な、おあつらえ向きの滝なのだが、今日の私では9割以上の確立で沈するのではないだろうか。 ただ、エスケープするにも非常に足場の悪いゴルジュの岩壁をへつらなければならない。 それはそれで、かなり困難だ。 どちらのほうがリスクが少ないか天秤にかける。 いつもの自分ならカヤックで降下するほうが安全、と判断するだろう。
結局、壁をへつる方を選んだ。
その後は勾配も多少緩まり、何とかゴルジュを抜けたころには心臓の鼓動も収まっていた。 途中、流れ込む沢には手の届きそうな位置に雪渓が残っていた。
それにしても、なぜエディーがキャッチできないのだろう。
川幅が広がりゴールの砂防ダムが近づいたころ、突然真っ暗な頭の中に明かりが点った。
そうか、そうだったんだ。 フォワードストローク(と言うより、単純に前に進むと言うこと)を漕いでいなかったんだ。
本流からエディーに入るとき、流れより早く漕いでいれば、スイープストロークを漕がなくてもちゃんとターンしてエディーに入る。しかし、ぷかぷかと流されて行く状態では、いくらエディーの手前でスイープしても艇は本流に乗ったまま流されてしまう。
そんなこと当たり前じゃないか。 初心者に教えるときに「スピードつけないとターンできないよ」っていつも言ってるじゃないか。 たったそれだけの、基本中の基本が今日の私の頭の中からすっ飛んでいたのだ。 右の図のような大きなエディーならば適当にやっても何とかなるけれど、艇の長さに満たないようなマイクロエディーでは、ごまかしが効かないのだ。
スタート地点で重なったいくつかの悪条件(筋肉痛で漕げない、借り物の艇で普段と感触が違う、失敗できないというプレッシャー)から慎重になりすぎ、前に漕ぐことを忘れ、岩の後ろのコースをねらってスイープすることしかやっていなかった。
一回の失敗がプレッシャーをより大きくし、雪だるま式に膨れ上がったプレッシャーに完全に押しつぶされていたのだ。
この日の自分を振り返ると、一旦このような精神状態に陥ったとき、自力で回復するのは非常に困難であることを痛感する。
気心の知れた仲間でダウンリバーする場合でも、「いつものあいつなら簡単」であっても、その日のコンディション、精神状態では危険な場合も有り得る。 リーダーは、そういった所にも気を配り、適切なアドバイスや状況判断ができるのが理想だ。